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調査ログ 沖縄本島と周辺離島 (沖縄県) ■ぐすく ・集落にしては小さく、労力に合わない。実際は住居機能と聖域を取り込んだ城郭ではないかと思う ・ただ世界遺産登録の城の規模のものだけしか行けなかったし、それらは史料にも記されているのだから、それで合っているだろう。しかしぐすくと呼ばれるものは他にもあるし、街中にもぐすくとかかなぐすくとか、地名がたくさん残っているので、本来はそこまで拡張して論じないといけないものらしい ・この簡潔にまとまったサイトの、「小島氏によれば、「グスク」はもともと“石積みや加工ないし利用されている岩山の類”を指す語であり、城塞、聖域に関わらず、石垣などの石造物が構築されたものが「グスク」と呼ばれたと考えました。」というのが自然な解釈のように思う。何らかのファンクションでなく、オブジェクトに与えられた名称である。 ・つまり「ぐすくとは何か」という問いから、「ぐすくのファンクションはどのようであったか」という問いへ?しかしここの議論見てもわかるが結構confusingで大変そうだ ●中城 ・よいスケール感、長い峰に立つ感じが他のと同様 ・石灰岩の丘の上に立ち、その丘が壁を破って突き出ていることがある。タリン城でも見た光景。地面に食いつく ・久高島と首里への遙拝所がある。久高島はとにかく平たく、見えるには見える ・その他にもウタキがいくつか ・石積みは混合 ●中城高原ホテル ・中城からだんだん見えて最後にどーんと、知る人には楽しく、知らない人には唖然とさせるアプローチ ・立ち入り禁止のゆるさ。中城という世界遺産からの出入りをほとんど黙認しているようなもの ・地形的ではあるが、ぐすく的ではなく、結果的に形態が本土の城郭に近い。あれを中城の中にすっぽり入れればそのまま成り立つような ・もめているのはおそらく、後出しの公園整備計画からか ●勝連 ・壁厚が変化、いい曲線。ときに角 ・模型で雰囲気がわかる。谷から上がって左右に振り分け、谷場のところに集落的なものがある ・海に向かってはかなり下がる ●首里 ・でかい ・18世紀初頭の建築のものを再現したというので、薩摩や幕府、清との関係からして、政治的・儀式的な意味合いの強いものだったろう ・城下町にも各地の按司を住まわせていた様子 ・政庁と住居、大奥などの配置は日本と似たものがある ・王宮が西に向かっているのは、太陽を背にするため、とあったが、既存集落(那覇)との関係、海(その向こうの中国)との関係などがあるのだと思う ・石垣の大部分が補修後のもの。戦災の影響 ・守礼門はしょっぱすぎて驚く ・玉陵 ●座喜味 ・他と較べて壁が厚いが、単に復元のさじ加減なのか、どうか ・小規模 ・中の地面が平坦ではない。当時の地面がこの在り方だったかは不明(元々山なのだから、ある程度このようなのだろうが) ●今帰仁 ・首里に次ぐぐらいの規模がある。北山王が滅亡するまでだった割に ・北山王滅亡後は封建的な統治に入る ・ぐすく、田畑、集落、海というわかりやすい横断面。やはり統治の王城だと考えるのが自然 ・修復中のところが多く、整備されていない状態を知ることができる ●名護 ・堀切のみ ●通路 ・ぐすくには、通路マニア垂涎の、素晴らしい通路だらけ ・既存のモノとのきれいなコントラスト、通路の必然性 ■那覇 ●国際通り周辺 ・国際通りは奇跡の1マイルからギラギラした観光地へ。西沢大良の國映館PJは頓挫してホテルが建つとのこと ・桜坂は衰退したとのこと ・市場、昼からの飲み屋 ・壺屋は、離散していた焼き物職人を戦後に最初に呼び戻したのが起こり。復興に必要な食器(や瓦?)をつくるため ・各町名とも、1丁目から戦後の開発が始まったので、1丁目を歩くと一番ごちゃごちゃしているらしい ●水上店舗 ・わずかに地形と「むつみ橋」の地名に名残 ・2階は若い人がようやく何か始めたところらしい ・参考:1 2 ●他 ・海側は開発が遅いため整然とグリッドになっている。繁華街の看板とかポン引きとかは本土のどことも同じ ・新都心あたりは、地面も建物も価格帯も、高くなる ・いわゆる歴史都市でないので、そのへんを追いかける資料に乏しい ■各地 ●聖地 ・あちこちに聖地…地蔵みたいなものか ・凹んだ場所が聖なる場所となる。琉球石灰岩の性質からか、水の貧しさからか ・亀甲墓も形式的には凹みをつくっている ・ウタキは神道と結びつきやすい (ゴサマル墓) ●斎場御獄 ・三角形の隙間を通り抜け、曲げて久高島を見る、見事な祈りの空間 ・人の手は最小限にしか加わっていない、それは元の場所が力を持っているから ●久高島 ・静か。茂みでガサゴソする鳥の音だけが聞こえる ・とにかく平たい ・ねこが人よりも多いのではないか。しかし「沖縄読本」で架橋による本土の流入問題が語られており、難しいところ ・海ぶどうの養殖あり。ビニールハウス、中は暑い ・女系のノロ、イザイホーなどの行事 ・神話はあるがあまり体系化されていない? ・クボウウタキの位置や構成、イザイホーの舞台なども、あまりに簡素で聖地めいていないのが何か凄みを感じる ・海辺に降りていったところのガーという聖地。真水の出るところ ・イノーで貝やタコを捕るおじさん ●海中道路より先の四島 ・海中道路は住民の手で始められた。台風でつぶれまくり、石油の「ガルフ社」が最後支援してできた ・平安座島と宮城島の間を同社の石油備蓄基地として埋め立てた。丘の上にもある ・本島と平安座島の間はかなりの浅瀬、平安座島と宮城島の間も浅瀬、宮城島はかなりワイルド、伊計島は入口が切り立っていて奥が平たい、と緩急が繰り返す ・久高島も伊計島も、平たいのに集落は南にかなり高密度に密集。少し遠くに出かけて畑をやる。散村形態をとらない。屋敷林で散村をやるところとの違いは何なのか? ・伊計島に縄文遺跡あり。とにかく竪穴住居が小さい ・浜比嘉島 ●古宇利島 ・非常にお好み焼きに近い形態の島である。それしかない ●中村家 ・住宅自体は四面開口だが外構はヒンプンと並木と地形により四面閉じるのが沖縄のやり方 ・板の間が気持ちよさそう ・高倉 ・家畜小屋と豚ピット ・環境制御に関する関西大学の研究プロジェクトの冊子がわかりやすかった ●備瀬のフクギ並木 ●石敢當 ・T字路だけでなくどこにでもある ●金城の石畳 ・かなりの急坂 ・路面を琉球石灰岩でつくることで地下に水を集める仕組みがあったらしい ■近現代建築 ・コンクリート、近代建築が、沖縄の風土とよく合っている。花ブロック、ブリーズソレイユ、ツノなどの建築語彙。本土で「和風」「高級風」がうまくいっていないのに較べ、随分ラクにいけているような感じがする。RC造の自由度と沖縄の人のゆるい気質がマッチしたのだろうか。植民地建築も同じようにうまく融合している ・東南アジア、メキシコとの類似性(空隙、素材、色彩、ばらばらっと立つ感じ、斜面に、…)は、風土が必然的にそうさせるというのか、近代以降も何らかの手法の共有があったのか? ●博物館 ・プレキャストの傾斜壁面が非常に美しい。ぐすくを模したというが納得。構造体ではないっぽいが ・中は無難 ・石本建築事務所の設計 ●国立劇場おきなわ ・外に張り出した傾斜壁面であるがこれも美しい ●名護市庁舎 ・変わり種のような印象を持っていたが、いやいや、すっかりなじんでいる。ガウディを見たときにも同じことを感じた。地域主義を突き詰めれば、現代建築の目からは変わり種に見えるが、その場所においてはむしろなじむ。なじみながらいい味を出す。現代建築の文脈の中だけでやっている、そこからどうしても外れられない建築家の建築の方が、場所において変わり種になるのだ ・大庇の下に古い家具を置いていたり、テニスの壁打ちをしていたり、使い込まれている ■地面 ■その他諸々 ●ゲストハウス ・那覇は長期滞在が多い。2月でも満室に近い。賃貸住宅が大阪並みに高いので、光熱費込で月3万であれば助かる。ある種のシェアハウスに近い中間形態 ・名護は短期が多い。土日やシーズンの影響が大きい ・サボテンスマイルのアースバッグハウス、なかなか興味深い試み ●基地 ・ほとんど不可視である。地図上ではかなりの領域だが、フェンス、深い森で遮られている。本土からの観光客は、現地での問題の大きさの割にほとんど意識しないのでは ・基地の外のアメリカっぽさもない。居住や宿泊が基地内になり、暴行事件などで外出が制限されるなど、分離が進んだようだ ・Yナンバーの車 ・軍用土地の売買の不動産屋がいる ・近代の戦争は文化を生まないのか?過去の戦争は国家とも民衆とも結びつき、武家文化が生まれた。軍事が分離され高度に機密化されたからか? ●海 ・珊瑚の海、イノーが特徴的。珊瑚礁の種類(「美ら海」の外に展示があった) ・キレイだけど、個人的には上五島の海の美しさには全く及ばないと思う。内海もどこかあっけらかんとしている。スケール感、配置、色彩、植生、気候、…の違い。要検討 ●寺 ●美ら海水族館 ・展示方法がまあまあ面白い ・じんべえざめは意外と小さい ・一人で来るところではないが、私が街を一人で歩くように、生物系の研究者にとってはじっくり一人で見たいのだろうなあ ●キャンプ ・街ぐるみの応援 ・近さ ・アイドルの追っかけと似たものだ。しかし楽しい ●瀬底とブセナテラス ・「ブログ」に記載 [ログ一覧に戻る] |