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調査ログ 高野山 (和歌山県)
なぜ思想を表現しないのだろうか。 仏教や空海思想の概説書を読み直してから行ったが、何もなかった。寺や仏像の由緒は「本堂は○○天皇の詔により○○年に建立されたが火事で焼け、、、、○○形式の優美な姿である」「○○時代の○○仏師の作と伝えられ、同時代の不動明王の中では、、、」など、史実や美術史上のことは書かれていても、その裏にある思想や思惑が書かれていない。宿坊も「楽天」「じゃらん」で「女子旅プラン」「夕食グレードアッププラン」云々で1泊15000円ぐらいして、ただの旅館と変わらない。朝のお勤めも同席するだけで何の説明もなく参加もなかったので、法事などで慣れている私としては、特に新鮮味がない。 寺院、仏像、博物館、宿坊、読経、料理などは、思想を伝え語り合うのに絶好の機会である。何の表現もないので、わからず、一体何のために寺に参るのか、わからない。 しかし我々も「風情があっていい雰囲気」を楽しむのが目的で、また見た目で「古くてかっこいい」「赤すぎる、人工的」とかそういうことばかりで、思想やストーリーについては「ふ〜ん」ぐらいでよく、ほとんど興味を持っていないから、寺もそれでいいのだとなって、何もしない。三密でいうなれば、身密だけでよく、口密は表現せず、意密は伝わるはずもなく、それでいい、ということ。 葬式仏教であるとともに観光仏教。檀家制、経済主義、成熟社会、云々。 ・ケーブルカー ・金剛峯寺よかった。住職交代の儀式のために中に入れず ・杉の立木が雰囲気をつくっている ・壇上伽藍。でかっ、赤っ ・西塔は質素 ・奥の院。雨がしとしとと降って、森閑とした朝。美しい。また大師霊廟はさすがに雰囲気があった ・大門 ・雨による霊山っぽさ ・宿坊 ・とにかくこたつの使い方が変わっている。寝たら案の定、余計に疲れた [ログ一覧に戻る] |